「忠実で思慮深い奴隷はいったいだれでしょうか」

「忠実で思慮深い奴隷はいったいだれでしょうか」

「主人​が……その​召使い​たち……の​上​に​任命​し​た,忠実​で​思慮深い​奴隷​は​いったい​だれ​でしょ​う​か」。―マタ 24:45

1,2. 今日,イエス​が​わたしたち​を​養う​経路​と​し​て​用い​て​いる​の​は,だれ​です​か。その​経路​を​認識​する​の​が​肝要​な​の​は,なぜ​です​か。

「皆さん​は,わたし​が​本当​に​必要​と​する​記事​を,ちょうど​必要​な​時​に​出し​て​ください​ます。そういう​こと​が​数え切れない​ほど​あり​まし​た」。ある​姉妹​は,世界​本部​で​働く​兄弟​たち​に​宛て​た​手紙​の​中​で,その​よう​に​感謝​の​気持ち​を​言い表わし​まし​た。あなた​も​この​姉妹​の​よう​に​感じ​ます​か。多く​の​人​は​そう​感じ​ます。しかし,これ​は​驚く​べき​こと​で​は​あり​ませ​ん。

2 わたしたち​が​受け取る,時​に​応じ​た​霊的​食物​は,会衆​の​頭​イエス​が​わたしたち​を​養う​と​いう​約束​を​果たして​おら​れる​こと​の​証拠​です。イエス​は​だれ​を​通し​て​そう​さ​れ​ます​か。イエス​は​ご自分​の​臨在​の​しるし​を​述べ​た​際,「忠実​で​思慮深い​奴隷」を​用い​て,召使い​たち​に『時​に​応じ​た​食物』を​与え​させる,と​言わ​れ​まし​た。 *マタイ 24:45‐47を​読む。この​忠実​な​奴隷​は,イエス​が​この​終わり​の​時​に​おい​て​真​の​追随​者​たち​を​養う​経路​です。この​忠実​な​奴隷​を​認識​する​の​は​肝要​な​こと​です。わたしたち​の​霊的​健康​と​神​と​の​関係​は,この​経路​に​依存​し​て​いる​から​です。―マタ 4:4。ヨハ 17:3

3. わたしたち​の​出版​物​は,忠実​な​奴隷​に​関する​例え​に​つい​て,何​と​述べ​て​き​まし​た​か。

3 では,忠実​な​奴隷​に​関する​イエス​の​例え​は,どう​理解​す​べき​でしょ​う​か。これ​まで​出版​物​で​は,次​の​よう​に​説明​さ​れ​て​き​まし​た。西暦​33​年​の​ペンテコステ​に,イエス​は​召使い​たち​の​上​に​忠実​な​奴隷​を​任命​し​た。奴隷​と​は,それ​以降​の​どの​時​に​せよ,地上​に​いる​一つ​の​グループ​と​し​て​の​油そそが​れ​た​クリスチャン​全員​の​こと​で​あり,召使い​と​は,その​同じ​油そそが​れ​た​者​たち​一人一人​の​こと​で​ある。1919​年,イエス​は​忠実​な​奴隷​を​任命​し​て,「すべて​の​持ち物​を​つかさどら​せ」た。すべて​の​持ち物​と​は,地上​に​おける​王国​の​関心事​すべて​を​表わす。しかし​こう​し​た​以前​の​理解​は,注意深い​研究​と​祈り​の​こもっ​た​黙想​を​重ね​た​結果,調整​する​必要​の​ある​こと​が​分かり​まし​た。(箴 4:18)では,この​例え​は​何​を​意味​する​の​でしょ​う​か。天的​な​希望​を​持つ​人​で​あれ​地的​な​希望​を​持つ​人​で​あれ,わたしたち​は​この​例え​と​どう​関係​し​ます​か。調べ​て​み​ましょ​う。

その​例え​は​いつ​成就​する​か

4‐6. 忠実​な​奴隷​に​関する​イエス​の​例え​は,1914​年​の​後​で​なけれ​ば​成就​し​ない,と​結論​できる​の​は​なぜ​です​か。

4 忠実​で​思慮深い​奴隷​に​関する​例え​の​文脈​から​すれ​ば,その​成就​は​西暦​33​年​の​ペンテコステ​で​は​なく,この​終わり​の​時​に​始まり​まし​た。聖書​は​その​結論​を​どの​よう​に​裏づけ​て​い​ます​か。

5 忠実​で​思慮深い​奴隷​に​関する​例え​は,イエス​が​述べ​た「[ご自分​の]臨在​と​事物​の​体制​の​終結​の​しるし」に​関する​預言​の​一部​です。(マタ 24:3)その​預言​の​最初​の​部分​は​マタイ 24​章​4‐22​節​に​あり,二​重​に​成就​し​ます。1​回​目​は​西暦​33​年​から​西暦​70​年​まで​の​期間​に,2​回​目​は​現代​に​おい​て,もっと​広い​範囲​で​成就​し​ます。では,忠実​な​奴隷​に​関する​イエス​の​言葉​も​二​重​に​成就​する​の​でしょ​う​か。そう​で​は​あり​ませ​ん。

6 イエス​は​マタイ 24​章​29​節​から​の​部分​で,現代​に​生じる​事柄​に​焦点​を​合わせ​て​い​ます。マタイ 24:30,42,44を​読む。大​患難​の​時​に​生じる​事柄​に​つい​て​イエス​が​述べ​た​言葉​に​よる​と,人々​は「人​の​子​が……天​の​雲​に​乗っ​て​来る​の​を​見」ます。それ​から​イエス​は,終わり​の​日​に​生き​て​いる​人​たち​に​向け​た​言葉​の​中​で,目覚め​て​いる​こと​を​励まし,「あなた方​は,自分​たち​の​主​が​どの​日​に​来る​か​を​知ら​ない」,「あなた方​の​思わ​ぬ​時刻​に​人​の​子​は​来る」と​述べ​て​い​ます。 * イエス​が​忠実​な​奴隷​の​例え​を​語っ​た​の​は,この​文脈​に​おい​て​でし​た。つまり,終わり​の​日​に​起こる​事柄​に​つい​て​話​し​て​い​た​時​です。ですから,忠実​な​奴隷​に​関する​イエス​の​言葉​は,1914​年​に​終わり​の​日​が​始まっ​た​後​で​なけれ​ば​成就​し​ない,と​結論​できる​でしょ​う。この​結論​は​理​に​かなっ​て​い​ます。なぜ​そう​言え​ます​か。

7. 収穫​の​季節​が​始まっ​て,どんな​重要​な​質問​が​生じ​まし​た​か。なぜ​です​か。

7 「忠実​で​思慮深い​奴隷​は​いったい​だれ​でしょ​う​か」と​いう​質問​に​つい​て​考え​て​み​て​ください。1​世紀​当時,そう​し​た​質問​を​する​必要​は,まず​あり​ませ​ん​でし​た。前​の​記事​で​見​た​よう​に,使徒​たち​は​神​の​後ろ盾​を​得​て​いる​証拠​と​し​て,奇跡​を​行なう​だけ​で​なく,奇跡​的​な​賜物​を​他​の​人​に​伝える​こと​さえ​でき​た​の​です。(使徒 5:12)ですから,キリスト​から​任命​さ​れ​た​の​は​いったい​だれ​か,など​と​尋ねる​必要​は​あり​ませ​ん​でし​た。しかし​1914​年​の​状況​は​全く​異なり​ます。その​年​に​収穫​の​季節​が​始まり​まし​た。雑草​を​小麦​から​分ける​時​が​ついに​到来​し​た​の​です。(マタ 13:36‐43)その​収穫​の​季節​が​始まっ​て​重要​な​質問​が​生じ​まし​た。それ​は,多く​の​偽​クリスチャン​が​イエス​の​真​の​追随​者​で​ある​と​主張​する​中​で,油そそが​れ​た​者​で​ある​小麦​を​どう​すれ​ば​見分け​られる​か,と​いう​質問​です。その​答え​は,忠実​な​奴隷​に​関する​例え​の​中​に​あり​まし​た。キリスト​の​油そそが​れ​た​追随​者​たち​は,霊的​に​よく​養わ​れ​て​いる​人​たち​で​ある​に​違いあり​ませ​ん。

忠実​で​思慮深い​奴隷​は​だれ​か

8. 忠実​な​奴隷​が,油そそが​れ​た​クリスチャン​で​構成​さ​れ​て​いる​の​は,なぜ​ふさわしい​こと​です​か。

8 忠実​な​奴隷​は,地上​に​いる​油そそが​れ​た​クリスチャン​で​構成​さ​れ​て​いる​に​違いあり​ませ​ん。油そそが​れ​た​クリスチャン​は「王​なる​祭司」と​呼ば​れ,「闇​から​ご自分​の​驚く​べき​光​の​中​に​呼び入れ​て​くださっ​た​方​の『卓越​性​を​広く​宣明​する』」務め​が​与え​られ​て​い​ます。(ペテ​一 2:9)ですから,その「王​なる​祭司」に​属する​人​たち​が​直接,仲間​の​信者​に​真理​を​教える​の​は,非常​に​適切​な​こと​です。―マラ 2:7。啓 12:17

9. 油そそが​れ​た​クリスチャン​全員​が​忠実​な​奴隷​を​構成​する​の​でしょ​う​か。説明​し​て​ください。

9 地上​に​いる​油そそが​れ​た​者​全員​が​忠実​な​奴隷​を​構成​する​の​でしょ​う​か。そう​で​は​あり​ませ​ん。事実​から​言え​ば,すべて​の​油そそが​れ​た​者​たち​が,世界​中​の​兄弟​姉妹​に​霊的​食物​を​分配​する​務め​を​担っ​て​いる​わけ​で​は​あり​ませ​ん。小麦​の​中​に​は,地元​の​会衆​の​奉仕​の​僕​や​長老​と​し​て​奉仕​する​油そそが​れ​た​兄弟​たち​も​いる​でしょ​う。彼ら​は​家​から​家​で​も​会衆​で​も​教え,本部​から​の​指示​に​忠節​に​従い​ます。それでも,世界​中​の​兄弟​たち​に​霊的​食物​を​分配​する​仕事​に​は​参加​し​て​い​ませ​ん。また,油そそが​れ​た​者​の​中​に​は,謙遜​な​姉妹​たち​も​含ま​れ​て​い​ます。姉妹​たち​は​決して​会衆​の​教え手​に​なろ​う​と​は​し​ませ​ん。―コリ​一 11:3; 14:34

10. 忠実​で​思慮深い​奴隷​と​は​だれ​の​こと​です​か。

10 では,忠実​で​思慮深い​奴隷​と​は​だれ​の​こと​でしょ​う​か。それ​は,キリスト​の​臨在​の​期間​中,霊的​食物​の​準備​と​分配​に​直接​かかわる,油そそが​れ​た​兄弟​たち​の​少​人数​の​一団​で​構成​さ​れ​て​い​ます。これ​は,少数​の​人​を​通し​て​多く​の​人​を​養う​と​いう​イエス​の​型​に​倣っ​た​もの​です。忠実​な​奴隷​を​構成​する​油そそが​れ​た​兄弟​たち​は,終わり​の​日​を​通じ​て​世界​本部​で​一緒​に​奉仕​し​て​き​まし​た。ここ​数十​年,その​奴隷​は​エホバ​の​証人​の​統治​体​と​密接​に​結びつけ​られ​て​き​まし​た。注目​す​べき​な​の​は,イエス​の​例え​の「奴隷」と​いう​語​は​単数​形​で​あり,集合​体​と​し​て​の​奴隷​で​ある​こと​が​示唆​さ​れ​て​いる​点​です。したがって,統治​体​に​よる​決定​は​集団​的​な​もの​です。

召使い​たち​と​は​だれ​か

11,12. (イ)忠実​で​思慮深い​奴隷​は,どんな​二つ​の​任命​を​受け​ます​か。(ロ)イエス​は​いつ,忠実​な​奴隷​を​召使い​たち​の​上​に​任命​し​まし​た​か。だれ​を​選び​まし​た​か。

11 イエス​の​例え​に​おい​て,忠実​で​思慮深い​奴隷​が​二つ​の​別個​の​任命​を​受ける​こと​は​注目​に​値し​ます。最初​は,召使い​たち​の​上​に​任命​さ​れ​ます。二​つ​目​は,主人​の​すべて​の​持ち物​を​つかさどる​よう​に​任命​さ​れ​ます。この​例え​は,今​の​終わり​の​時​に​初めて​成就​する​ため,これら​二つ​の​任命​は​いずれ​も,イエス​が​1914​年​に​王権​を​執っ​て​臨在​し​始め​た​後​に​行なわ​れる​はず​です。

12 イエス​が​召使い​たち​の​上​に​忠実​な​奴隷​を​任命​し​た​の​は​いつ​です​か。それ​に​答える​に​は,収穫​の​季節​が​始まっ​た​1914​年​に​戻ら​なけれ​ば​なり​ませ​ん。先​に​学ん​だ​よう​に,その​ころ,クリスチャン​と​唱える​グループ​は​数多く​あり​まし​た。イエス​は​どの​グループ​を​選​ん​で​忠実​な​奴隷​を​任命​する​の​でしょ​う​か。その​質問​の​答え​が​得​られ​た​の​は,イエス​と​み父​が​神殿​の​検分,つまり​崇拝​の​ため​の​霊的​な​取り決め​の​検分​に​来​て​おら​れ​た​期間(1914​年​から​1919​年​の​初め​ごろ​まで)が​過ぎ​て​から​でし​た。 *マラ 3:1)お二方​は,忠節​な​聖書​研究​者​たち​の​少​人数​の​隊伍​を​喜ば​れ​まし​た。その​グループ​は,心​が​エホバ​および​み言葉​と​共​に​ある​こと​を​示し​た​の​です。もちろん,彼ら​は​幾らか​清め​を​必要​と​し​て​い​まし​た​が,試み​と​精錬​が​続い​た​しばらく​の​期間,謙遜​に​こたえ応じ​まし​た。(マラ 3:2‐4)それら​忠実​な​聖書​研究​者​たち​は​真​の​クリスチャン,つまり​小麦​でし​た。霊的​な​回復​の​時​と​なっ​た​1919​年,イエス​は​聖書​研究​者​の​中​から,有能​な​油そそが​れ​た​兄弟​たち​を​選​ん​で​忠実​で​思慮深い​奴隷​と​し,召使い​たち​の​上​に​任命​し​まし​た。

13. 召使い​たち​に​は​だれ​が​含ま​れ​ます​か。なぜ​です​か。

13 では,召使い​たち​と​は​だれ​です​か。端的​に​言え​ば,養わ​れる​人​たち​です。終わり​の​日​の​初期,召使い​たち​は​すべて​油そそが​れ​た​者​でし​た。その​後,召使い​たち​に,ほか​の​羊​の​大​群衆​が​含ま​れる​よう​に​なり​ます。ほか​の​羊​は​現在,キリスト​の​指導​の​もと​に​ある「一つ​の​群れ」の​大​多数​を​占め​て​い​ます。(ヨハ 10:16)これら​二つ​の​グループ​は,忠実​な​奴隷​に​より​分配​さ​れる,時​に​応じ​た​同一​の​霊的​食物​から​益​を​得​て​い​ます。今日,忠実​で​思慮深い​奴隷​を​構成​し​て​いる​統治​体​の​メンバー​は​どう​です​か。それら​の​兄弟​たち​も​霊的​に​養わ​れる​必要​が​あり​ます。ですから,個人​と​し​て​は,イエス​の​真​の​追随​者​たち​すべて​と​同じく,召使い​で​ある​こと​を​謙遜​に​認め​ます。

天的​な​希望​を​抱い​て​い​て​も​地的​な​希望​を​抱い​て​い​て​も,わたしたち​は​すべて​召使い​で​あり,時​に​応じ​た​同一​の​霊的​食物​を​必要​と​する

14. (イ)忠実​な​奴隷​に​は​どんな​責任​が​課さ​れ​て​い​ます​か。それ​に​は,何​が​含ま​れ​ます​か。(ロ)イエス​は,忠実​で​思慮深い​奴隷​に​どんな​警告​を​与え​まし​た​か。(「もし​その​よこしま​な​奴隷​が……」と​いう​囲み​を​参照。)

14 イエス​は​忠実​で​思慮深い​奴隷​に​重要​な​責任​を​お与え​に​なり​まし​た。聖書​時代,信頼​の​厚い​奴隷​つまり​家令​は,家​の​管理​人​でし​た。(ルカ 12:42,脚注)ですから​忠実​で​思慮深い​奴隷​に​は,信仰​の​家​の​者​たち​を​世話​する​責任​が​課さ​れ​て​い​ます。それ​に​は,物質​的​な​資産​や​伝道​活動​や​大会​で​の​プログラム​を​監督​する​責任,さらに​は​宣教​で,また​個人​研究​や​会衆​の​集会​で​用いる​聖書​文書​の​生産​を​監督​する​責任​など​も​含ま​れ​て​い​ます。召使い​たち​は,集合​体​と​し​て​の​奴隷​に​よっ​て​分配​さ​れる​霊的​食物​すべて​を​必要​と​し​て​い​ます。

主人​の​すべて​の​持ち物​を​つかさどる​よう​に​任命​さ​れる ― いつ?

15,16. イエス​が​自分​の​すべて​の​持ち物​を​つかさどら​せる​ため​に​忠実​な​奴隷​を​任命​する​の​は,いつ​です​か。

15 二​度​目​の​任命,つまり​イエス​が「自分​の​すべて​の​持ち物​を​つかさどら​せる」ため​の​任命​は​いつ​行なわ​れ​ます​か。イエス​は​こう​言い​まし​た。「主人​が​到着​し​て[字義,「来​て​い​て」,脚注],そう​し​て​いる​ところ​を​見る​なら​ば,その​奴隷​は​幸い​です。あなた方​に​真実​に​言い​ます​が,主人​は​彼​を​任命​し​て​自分​の​すべて​の​持ち物​を​つかさどら​せる​でしょ​う」。(マタ 24:46,47)二​度​目​の​任命​は,イエス​が​到着​し,奴隷​が「そう​し​て​いる」ところ,つまり​霊的​食物​を​忠実​に​分配​し​て​いる​ところ​を​見​た​後​に​行なわ​れる​こと​に​注目​し​て​ください。ですから,二つ​の​任命​は​間隔​を​置い​て​行なわ​れ​ます。イエス​が​自分​の​すべて​の​持ち物​を​つかさどら​せる​ため​に​奴隷​を​いつ,どの​よう​に​任命​する​か​を​理解​する​に​は,次​の​二つ​の​こと​を​知る​必要​が​あり​ます。イエス​は​いつ​到着​する​か,そして​イエス​の​持ち物​に​は​何​が​含ま​れる​か,と​いう​こと​です。

16 イエス​は​いつ​到着​さ​れ​ます​か。その​答え​は​文脈​から​分かり​ます。すでに​学ん​だ​よう​に,マタイ 24​章​46,47​節​の​少し​前​の​幾つ​か​の​節​に​ある,イエス​が「来る」と​いう​表現​は,イエス​が​この​体制​の​終わり​に​裁き​を​宣告​し​執行​する​時​の​こと​を​言っ​て​い​ます。 *マタ 24:30,42,44)ですから,忠実​な​奴隷​の​例え​で​イエス​が『到着​する』つまり「来る」と​言わ​れ​て​いる​の​は,大​患難​の​時​の​こと​です。

17. イエス​の​持ち物​に​は​何​が​含ま​れ​ます​か。

17 では,「[イエス​の]すべて​の​持ち物」に​は​何​が​含ま​れ​ます​か。イエス​は「すべて​の」と​いう​語​に​修飾​語​を​加え​ず,持ち物​を​地上​の​物事​だけ​に​限定​さ​れ​ませ​ん​でし​た。実際,イエス​は​広範​に​わたる​天的​な​権威​を​持っ​て​おり,「わたし​は​天​と​地​に​おける​すべて​の​権威​を​与え​られ​て​い​ます」と​述べ​て​い​ます。(マタ 28:18。エフェ 1:20‐23)今​その​持ち物​に​は,メシア​王国​が​含ま​れ​て​い​ます。1914​年​以来​この​王国​は​イエス​の​もの​で​あり,油そそが​れ​た​追随​者​たち​と​分け合う​こと​に​なり​ます。―啓 11:15

18. イエス​が,自分​の​すべて​の​持ち物​を​つかさどら​せる​ため​の​任命​を​喜ん​で​行なう​の​は,なぜ​です​か。

18 以上​の​事柄​から,どんな​結論​を​下せ​ます​か。イエス​は​大​患難​に​おい​て​裁き​の​ため​に​来る​時,忠実​な​奴隷​が​召使い​たち​に​時​に​応じ​た​霊的​食物​を​忠節​に​分配​し​て​き​た​の​を​見​ます。そして,二​度​目​の​任命,つまり​自分​の​すべて​の​持ち物​を​つかさどら​せる​ため​の​任命​を​喜ん​で​行ない​ます。忠実​な​奴隷​を​構成​する​人​たち​は,天的​な​報い​を​受け​て​キリスト​の​共同​支配​者​と​なる​時,この​任命​を​受け​ます。

19. 忠実​な​奴隷​は​他​の​油そそが​れ​た​者​たち​より​大きな​報い​を​天​で​受け​ます​か。説明​し​て​ください。

19 忠実​な​奴隷​は​他​の​油そそが​れ​た​者​たち​より​大きな​報い​を​天​で​受ける​の​でしょ​う​か。そう​で​は​あり​ませ​ん。少​人数​の​一団​に​約束​さ​れ​た​報い​が,最終​的​に​他​の​人​に​も​与え​られる​と​いう​場合​が​あり​ます。例えば,イエス​が,死ぬ​前​の​晩​に​11​人​の​忠実​な​使徒​たち​に​述べ​た​こと​を​考え​て​ください。ルカ 22:28‐30を​読む。イエス​は,少​人数​の​男性​の​一団​に,前途​に​は​忠実​さ​の​報い​が​ある,と​約束​し​まし​た。彼ら​は​イエス​と​共​に​王​と​し​て​権威​の​座​に​着く​こと​に​なり​まし​た。しかし​イエス​は​後​に,14万4,000​人​全員​が​座​に​着き,イエス​と​共​に​支配​する​こと​を​示さ​れ​まし​た。(啓 1:1; 3:21)また,マタイ 24​章​47​節​に​ある​よう​に,イエス​は,少​人数​の​男性​の​一団 ― 忠実​な​奴隷​を​構成​する​油そそが​れ​た​兄弟​たち ― が​ご自分​の​すべて​の​持ち物​を​つかさどる​よう​任命​さ​れる​こと​を​約束​し​まし​た​が,実際​に​は,14万4,000​人​全員​が,イエス​の​広範​に​わたる​天的​な​権威​を​共​に​行使​する​の​です。―啓 20:4,6

14万4,000​人​全員​が,イエス​の​広範​に​わたる​天的​な​権威​を​共​に​行使​する(19​節​を​参照)

20. イエス​が​忠実​な​奴隷​を​任命​し​た​の​は​なぜ​です​か。あなた​は​どんな​決意​を​抱い​て​い​ます​か。

20 イエス​は,少数​の​人​を​通し​て​多く​の​人​を​養う​と​いう​1​世紀​に​定め​た​型​に​従っ​て​おら​れ​ます。忠実​で​思慮深い​奴隷​を​任命​し,油そそが​れ​た​者​で​あれ​ほか​の​羊​で​あれ,ご自分​の​真​の​追随​者​たち​が​終わり​の​日​の​間​中,時​に​応じ​た​霊的​食物​を​定常​的​に​得​られる​よう​に​し​て​いる​の​です。では,固い​決意​を​もっ​て,忠実​で​思慮深い​奴隷​を​構成​する​油そそが​れ​た​兄弟​たち​を​忠節​に​支持​し​ましょ​う。その​よう​に​し​て,ぜひとも​感謝​を​表わし​ましょ​う。―ヘブ 13:7,17

 

^ 2節 2​節: イエス​は​その​少し​前​に,類似​し​た​例え​を​述べ​て​おら​れ​ます。その​中​で​イエス​は「奴隷」を「家令」と​し​て,「召使い​たち」を「自分​の​従者​団」と​し​て​表わし​まし​た。―ルカ 12:42‐44

^ 6節 6​節: キリスト​が「来る」こと(ギリシャ​語,エルコマイ)は,キリスト​の「臨在」(パルーシア)と​は​異なり​ます。目​に​見え​ない​イエス​の​臨在​は,イエス​が​裁き​を​執行​する​ため​に​来る​前​に​始まり​ます。

^ 12節 12​節: この​号​の「見よ,わたし​は……いつ​の​日​も​あなた方​と​共​に​いる​の​です」と​いう​記事​の​10‐12​ページ5‐8​節を​参照。

^ 16節 16​節: この​号​の「わたしたち​に​お話し​ください。その​よう​な​こと​は​いつ​ある​の​でしょ​う​か」と​いう​記事​の​7‐8​ページ14‐18​節を​参照。