「信仰のうちにしっかりと立ちなさい」
「信仰のうちにしっかりと立ちなさい。……力強い者となりなさい」。―コリ一 16:13。
1. (イ)ペテロはガリラヤの海で風あらしに遭った時,どんな経験をしましたか。(冒頭の挿絵を参照。)(ロ)ペテロが沈み始めたのはなぜですか。
その夜,使徒ペテロと他の弟子たちは,風あらしの吹くガリラヤの海で,懸命に舟を漕いでいました。すると突然,海の上を歩いているイエスの姿が目に入ってきます。ペテロはイエスに向かって,水の上を歩いてそちらに行けるようにしてください,と叫びます。イエスが「来なさい!」と言うと,ペテロは舟の外に出て,波立つ海の上をイエスの方に歩き始めます。しかし,ペテロはたちまち沈み始めます。なぜでしょうか。風あらしを見て怖くなったのです。ペテロが助けを求めると,イエスはすぐに手を伸ばしてペテロをつかみ,「信仰の少ない人よ,なぜ疑いに負けたのですか」と言います。―マタ 14:24‐32。
2. これからどんな点を取り上げますか。
2 ペテロの経験から,信仰について学べる3つの点を取り上げましょう。それは,(1)ペテロは最初,どのように神の支えに対する信仰を示したか,(2)ペテロが信仰を失い始めたのはなぜか,(3)ペテロが信仰を取り戻すうえで,何が助けになったか,ということです。こうした点について考えると,どうすれば「信仰のうちにしっかりと立」てるかが分かります。―コリ一 16:13。
神の支えに対する信仰
3. ペテロが舟の外に出たのはなぜですか。わたしたちも同様のどんなことを行ないましたか。
3 ペテロは信仰によって,舟の外に出て水の上を歩き始めました。ペテロはイエスから「来なさい!」と言われたので,神の力がイエスを支えているように,自分のことも支えてくれる,と信じました。わたしたちも信仰によって,エホバに献身してバプテスマを受けました。イエスはわたしたちを,追随者になってご自分の足跡に従って歩むよう招いてくださいました。わたしたちはエホバとイエスに信仰を働かせなければなりません。お二方が様々な方法で支えてくださることを信じなければなりません。―ヨハ 14:1。ペテロ第一 2:21を読む。
4,5. 信仰はなぜ,貴重なものと言えますか。
4 信仰は非常に貴重なものです。ペテロは信仰によって水の上を歩くことができました。わたしたちも信仰によって,人間の観点からは不可能に思える事柄を行なうことができます。(マタ 21:21,22)例えば,わたしたちの多くは,別人ではないかと思われるほど,態度や行動の仕方を大きく変化させました。信仰に基づいてそうした変化を遂げたゆえに,エホバはわたしたちの努力を支えてくださいました。(コロサイ 3:5‐10を読む。)わたしたちは信仰に動かされてエホバに献身し,神の友になりました。自分の力では,到底なし得ない事柄です。―エフェ 2:8。
5 信仰はわたしたちに力を与えてくれます。信仰があれば,超人間的な敵対者である悪魔の攻撃に抵抗することができます。(エフェ 6:16)また,エホバへの信頼があれば,試練の時も思い煩いを最小限に抑えることができます。信仰に動かされて王国の関心事を第一にするなら物質的な必要物を与える,とエホバは約束しておられます。(マタ 6:30‐34)それだけではありません。わたしたちは信仰のゆえに,人間が自分の力では決して得られない贈り物,つまり永遠の命を得ることができます。―ヨハ 3:16。
ふさわしくない事柄に目を向けると信仰を失う
6,7. (イ)わたしたちは,ペテロが経験した風と波のような,どんな事柄に直面するかもしれませんか。(ロ)信仰が弱くなる可能性について真剣に考えるべきなのはなぜですか。
6 わたしたちが神に献身した生活で直面する試練や誘惑は,ペテロが水の上を歩いた時に経験した風と波のようなものです。わたしたちは厳しい問題に直面しても,エホバの支えによってしっかり立つことができます。ペテロが沈んだ原因は突風や大波ではなかったことに注目してください。ペテロは「風あらしを見て怖くな[った]」のです。(マタ 14:30)イエスをしっかり見なくなったために,信仰が揺らぎました。わたしたちも,「風あらしを見」始めるなら,つまり自分が直面している問題に目を向けて,エホバがわたしたちを支えてくださることを疑うようになるなら,沈み始めるかもしれません。
7 わたしたちは,信仰が弱くなる可能性について真剣に考えるべきです。聖書は,信仰が弱くなることや信仰を失うことを,「容易に絡みつく罪」と呼んでいるからです。(ヘブ 12:1)ペテロの経験から分かるように,ふさわしくない事柄に目を向けてしまうと,信仰はすぐに弱くなる可能性があります。では,自分がそういう危険な状態にあるかどうか,どうすれば分かるでしょうか。次に挙げる幾つかの質問を用いて,自己吟味してみましょう。
8. どのような理由で,神の約束が以前ほど現実的でなくなることがありますか。
8 自分にとって神の約束は,以前ほど現実的ではなくなっているだろうか。例えば,神は今の事物の体制を滅ぼすと約束しておられます。しかし,世の様々な娯楽によって注意をそらされ,神の約束に対する信仰が弱くなると,終わりが近いことを疑い始めるかもしれません。(ハバ 2:3)別の例もあります。神は贖いに基づいてわたしたちを許すと約束しておられます。しかし,過去の過ちのことばかり考えていると,エホバが罪を「塗り消して」くださっていることを疑うようになる恐れがあります。(使徒 3:19)そうなると,神への奉仕から喜びが得られなくなり,宣べ伝える業をやめてしまうかもしれません。
9. 専ら個人的な事柄に目を向けると,どうなるかもしれませんか。
9 以前と同じように神への奉仕に熱心だろうか。使徒パウロは,エホバのために勤勉に働くことは,「希望に対する全き確信を終わりまで保つ」助けになる,と述べました。しかし,専ら個人的な事柄に目を向け,給料は良くても崇拝の妨げとなる仕事を始めたりすると,信仰が弱くなるかもしれません。「怠惰に」なり,エホバのために実際にできることも行なわなくなってしまう恐れがあります。―ヘブ 6:10‐12。
10. 他の人を許すなら,エホバへの信仰を表わすことになります。なぜそう言えますか。
10 感情を害された時,その人を許そうと努力するだろうか。他の人から傷つけられると,自分の感情ばかりに目が向き,傷つけた人に腹を立てたり,その人と口をきかなくなったりするかもしれません。しかし,その人を許すなら,エホバへの信仰を示すことになります。なぜでしょうか。わたしたちに対して罪をおかした人は,わたしたちに負い目を持つことになります。わたしたちが自分の罪ゆえに神に負い目を持つのと同じです。(ルカ 11:4)他の人を許すには次のことを信じなければなりません。それは,人の罪を許すことによって神の好意を得るのは,その人から負い目つまり負債を返してもらうことより大切である,ということです。イエスの弟子たちは,他の人を許すには信仰が必要であることを理解していました。イエスが弟子たちに,だれかから繰り返し罪をおかされたとしてもその人を許すように,と述べた時,弟子たちは,「わたしたちにさらに信仰をお与えください」と懇願したからです。―ルカ 17:1‐5。
11. 聖書的な助言から益を得損なうことがあるのは,なぜですか。
11 聖書的な助言を受けた時,不愉快に思うだろうか。人は,助言からどうしたら益が得られるかを考えるのではなく,助言や助言を与えた人の欠点に目を向けることがあります。(箴 19:20)そうすると,自分の考えを正して神の考えに合わせる機会を逃してしまうでしょう。
12. 民を導くためにエホバが用いておられる人たちについていつも不平を言う人は,どんな状態にあると言えますか。
12 任命された会衆内の兄弟たちに対してつぶやくだろうか。イスラエル人は不信仰な10人の斥候が持ち帰った悪い報告に注意を奪われ,モーセとアロンに対してつぶやき始めました。その時,エホバはモーセに,「この民は……いつまでわたしに信仰を置かないのか」と言われました。(民 14:2‐4,11)そうです,イスラエル人のつぶやきは,実際には,モーセとアロンを任命した神に対する信仰の欠如を示していたのです。同様に,もしわたしたちが,民を導くために神が用いておられる人たちについていつも不平を言っているなら,信仰が弱くなっているのではないでしょうか。
13. 自分の信仰が弱くなっていることに気づいたとしても落胆すべきでないのは,なぜですか。
13 自己吟味をして自分の信仰が弱くなっていることに気づいたとしても,落胆しないでください。使徒であったペテロでさえ,恐れと疑いに負けたことがありました。実際イエスは何度か,「信仰の少ない」ことで,使徒たち全員を戒めました。(マタ 16:8)しかし,信仰が揺らいで海に沈み始めた後のペテロの行動から,大切な教訓が学べます。
信仰を強めるためにイエスに目を向ける
14,15. (イ)ペテロは沈み始めた時,どうしましたか。(ロ)どうすればイエスを「一心に見つめ」ることができますか。
14 ペテロは,風あらしを見て沈み始めた時,自分の力で舟に戻ることもできたはずです。泳ぎが上手だったので,そうするほうが自然だったでしょう。(ヨハ 21:7)しかしペテロは,自分の力に頼るのではなく,再びイエスに目を向け,イエスの助けを受け入れました。わたしたちも,信仰が弱っていることに気づいたなら,ペテロの手本に倣うべきです。どうしたらそうできるでしょうか。
15 ペテロが再びイエスに目を向けたように,わたしたちも「信仰の主要な代理者また完成者であるイエスを一心に見つめ」なければなりません。(ヘブライ 12:2,3を読む。)もちろん,わたしたちはペテロとは違い,実際にイエスを見ることはできません。しかし,イエスの教えと行動を調べ,それにしっかり付いてゆくことにより,イエスを「一心に見つめ」ます。これから,イエスの手本に倣える方法を幾つか考えましょう。それらを実行するなら,信仰を強めることができます。
16. どのように聖書を研究すれば,信仰を強めることができますか。
16 聖書に対する確信を強める。イエスは,聖書が神の言葉であり,生活上の最善の導きとなることを確信していました。(ヨハ 17:17)イエスの手本に倣うには,聖書を毎日読み,研究し,学んだ事柄を黙想しなければなりません。通常の研究に加えて,自分が疑問に思う点について掘り下げた研究も必要です。例えば,今が終わりの日であることを示す聖書的な証拠を詳しく研究するなら,事物の体制の終わりが本当に近いことをいっそう確信できます。また,すでに実現した多くの預言を詳しく調べるなら,将来に関する聖書の約束への信仰を強めることができます。さらに,聖書によって生活が向上した実例を考えるなら,聖書の実際的な価値に対する確信が深まります。 * ―テサ一 2:13。
17. イエスが極度の試練に直面しても忠実を保つことができたのは,なぜですか。どのようにイエスに倣えますか。
17 エホバが約束してくださった祝福に目を向ける。イエスは,「自分の前に置かれた喜び」に焦点を合わせていたので,極度の試練に直面しても忠実を保つことができました。(ヘブ 12:2)世が提供するものによって注意をそらされることは決してありませんでした。(マタ 4:8‐10)わたしたちも,エホバが約束してくださった素晴らしい事柄を黙想するなら,イエスに倣うことができます。神が邪悪な体制を除き去ったあと,あなたは何をしたいと思いますか。それを文章にしたり,絵に描いたりしてみるのはどうですか。復活してくるどんな人に会いたいか,何を話したいか,それをリストにするのはどうですか。新しい世に関する神の約束は,人類全体になされたものですが,あなた個人に対する約束でもあるのです。そのような見方をしましょう。
18. 祈りによって,どのように信仰を強めることができますか。
18 さらに信仰を与えてくださるように祈る。イエスは弟子たちに,エホバに聖霊を求めるように教えました。(ルカ 11:9,13)聖霊を求める際には,さらに信仰を与えてくださるように祈りましょう。信仰は霊の実の一面だからです。具体的なことを祈り求めましょう。例えば,なかなか人を許せないといった,信仰が弱っている傾向に気づいたなら,そうした傾向を克服できるよう神に助けを願い求めてください。
19. どんな人を友として選ぶべきですか。
19 強い信仰を持つ人を友に選ぶ。イエスは注意深く友を選びました。親しい友を選ぶときは特にそうでした。例えば使徒たち,つまりイエスが最も親しい友として選んだのは,イエスの命令に従うことによって信仰と忠節を証明した人たちでした。(ヨハネ 15:14,15を読む。)ですから友を選ぶときは,イエスに対する従順によって信仰を示している人を探してください。次のことは大切です。良い友と言える1つの証拠は,助言したり助言されたりすることが必要になっても,その人と率直なコミュニケーションが行なえることです。―箴 27:9。
20. 信仰を強めるよう他の人を助けるなら,どんな益が得られますか。
20 信仰を強めるよう他の人を助ける。イエスは言葉と行動によって弟子たちの信仰を強めました。(マル 11:20‐24)わたしたちはその手本に倣うべきです。信仰を強めるよう他の人を助けるなら,自分の信仰も強くなるからです。(箴 11:25)宣べ伝えて人々を教える際は,神がおられること,わたしたちを気遣っておられること,聖書が霊感による神の言葉であることを示す証拠を強調してください。また,仲間の兄弟姉妹たちにも助けを与えてください。任命された兄弟たちに対する不平など,信仰が弱くなっている傾向が見られるとしても,その人をすぐに避けてはなりません。むしろ,信仰を取り戻せるよう,巧みな方法で援助してください。(ユダ 22,23)若い皆さん,学校で進化論について討議される時は,創造を信じていることを大胆に語ってください。意外にも,先生やクラスメートは好意的な反応を示すかもしれません。
21. エホバはわたしたちすべてに,何を約束しておられますか。
21 ペテロはイエスを通して与えられた神の助けにより,恐れと疑いを克服し,初期クリスチャンたちの間で信仰の柱のようになりました。エホバは,信仰のうちにしっかりと立てるよう,わたしたちすべてを助けてくださいます。(ペテロ第一 5:9,10を読む。)自分の信仰を強める努力には大きな価値があります。それには計り知れない報いがあるからです。
^ 16節 一般用「ものみの塔」の「聖書は人の生き方を変える」というシリーズ記事を参照。
「ものみの塔」(研究用)