「生活と奉仕 集会ワークブック」の資料
「生活と奉仕 集会ワークブック」の資料
© 2023 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
1月1-7日
神の言葉の宝 | ヨブ 32-33章
不安を感じている人を慰める
洞-1 428
エリフ
エリフはえこひいきをしませんでしたし,だれにもへつらいがましい称号を贈りませんでした。そして,自分もヨブのように粘土から造られていること,また全能者が自分の造り主であることを認めました。エリフはヨブをおびえさせようとは考えず,かえってヨブの名前を呼んで語りかけ,真の友として話しましたが,それはエリパズやビルダドやツォファルのしなかったことでした。―ヨブ 32:21,22; 33:6。
1月15-21日
神の言葉の宝 | ヨブ 36-37章
永遠に生きられるという神の約束を信じることができる理由
塔15 10/1 13ページ1-2節
神を見いだすことは本当に可能ですか
神は永遠に存在している: 聖書は神が「定めのない時から定めのない時に至るまで」存在していると教えています。(詩編 90:2)つまり,神には初めも終わりもないのです。「数においてその年は探り得ないほどである」という聖書の言葉どおりです。―ヨブ 36:26。
わたしたちにどう関係するか: 神は,ご自分を本当に知るようになる人に永遠の命を与えると約束してくださっています。(ヨハネ 17:3)神ご自身が永遠に存在する方でなければ,その約束は信頼することなどできません。「とこしえの王」である神だけがその約束を実現できるのです。―テモテ第一 1:17。
宝石を探し出す
洞-1 220
意思の伝達,交信,連絡
古代の聖書の地において,情報や考えは人から人へ様々な方法で伝えられました。地方や外国からの通常の知らせは大部分が口頭で伝えられました。(サム二 3:17,19; ヨブ 37:20)隊商に加わって旅行することの多かった旅人たちは,食物や水その他の必需品を求めて隊商路に沿った都市や地点に立ち寄った際,遠い土地からの新しい知らせを伝えました。アジア,アフリカ,およびヨーロッパとの関係で特異な位置を占めるパレスチナの地は,遠い地からの隊商が行き交うところでした。それで,そこに住む人たちは外国の重大な出来事に関する情報を容易に得ることができました。国内や国外からの知らせは都市の市の立つ広場で得られることが少なくありませんでした。
1月29日–2月4日
神の言葉の宝 | ヨブ 40-42章
宝石を探し出す
洞-1 41ページ3節
あざけり
ヨブは大いにあざけられながらも義をもって忠誠を守り通した人です。しかし,誤った見方を示して間違いを犯したため,矯正されました。エリフはヨブについて,「どんな強健な人がヨブのようであろう。彼は嘲笑を水のように飲み尽くす」と言いました。(ヨブ 34:7)ヨブは神の正しさよりも自分自身の正しさを立証することに過度の関心を持つようになり,神よりも自分自身の義を大いなるものにする傾向に陥りました。(ヨブ 35:2; 36:24)三人の「友」から厳しいあざけりの言葉を受けたヨブは,それを神よりもむしろ自分自身に向けられたものとみなす傾向がありました。この点でヨブは,嘲笑やあざけりに身を任せ,そうするのを喜ぶ人に似ており,喜んで水を飲むかのように嘲笑を受け入れました。後に神は,それらあざける者たちが実際には(結局のところ)神に対して虚偽を語っていたことをヨブに説明されました。(ヨブ 42:7)同様に,イスラエルが王を要求した時,エホバは預言者サムエルに,「彼らが退けたのはあなたではない。彼らは,わたしが彼らの王であることを退けた(の)である」と言われました。(サム一 8:7)また,イエスは弟子たちに,「あなた方は,[あなた方自身のゆえにではなく,]わたしの名のゆえにあらゆる国民の憎しみの的となるでしょう」と言われました。(マタ 24:9)このようなことを銘記しておけば,クリスチャンは正しい精神を抱いてあざけりに耐えることができ,そのような忍耐に対する報いを受ける資格を得ることになります。―ルカ 6:22,23。
2月5-11日
神の言葉の宝 | 詩編 1-4章
宝石を探し出す
洞-2 1000
もみがら
大麦や小麦などの穀粒についている薄い保護の覆い,もしくは殻。聖書の中ではもみがらのことが比喩的な意味で出て来ますが,それらの記述から古代の一般的な脱穀の習慣を知ることができます。刈り入れた後,大切な穀物を覆っている食べられないその皮膜は無用です。したがってそれは,重要でなく,価値がなく,望ましくないもの,良い物から分けられて処分されるべきものを象徴するのに適しています。
まず,脱穀の過程でもみがらは穀粒からはずれました。次のあおり分ける作業で,軽いもみがらの部分は塵のように風の中に運び去られました。(「あおり分け」を参照。)これはエホバ神がご自分の民の間から背教者をどのように取り除き,邪悪な人々と反対する諸国民をどのように処分されるかをよく表わしています。(ヨブ 21:18; 詩 1:4; 35:5; イザ 17:13; 29:5; 41:15; ホセ 13:3)神の王国は敵を微塵に打ち砕くので,彼らはもみがらのように簡単に吹き払われてしまいます。―ダニ 2:35。
無価値なもみがらは,風で逆に飛んで来て積み上げた穀物と混ざってしまわないよう,普通は集めて焼かれます。同様に,バプテスマを施す人ヨハネは,邪悪な偽りの宗教家たちの来たるべき火のような滅びを予告しました。脱穀者であるイエスキリストは,小麦を集めますが,「もみがらのほうは,消すことのできない火で焼き払うのです」。―マタ 3:7-12; ルカ 3:17。「脱穀」を参照。
2月12-18日
神の言葉の宝 | 詩編 5-7章
宝石を探し出す
洞-2 490
墓
使徒パウロがローマ 3章13節で引用している詩編 5編9節は,邪悪で欺まんに満ちた者ののどを「開かれた墓」に例えています。開かれた墓が死者と腐敗で満ちることになっているのと同じように,彼らののどは致死的で腐敗した言葉のために開きます。―マタ 15:18-20と比較。
2月19-25日
神の言葉の宝 | 詩編 8-10章
宝石を探し出す
洞-2 1059
指
比喩的な意味で,神はご自分の「指」で業を成し遂げられると言われています。その例としては,石の書き板に十戒を書き記すこと(出 31:18; 申 9:10),奇跡を行なうこと(出 8:18,19),天の創造(詩 8:3)があります。創造の活動の際に用いられた神の「指」が神の聖霊,すなわち活動する力を指しているということは,創世記の創造の記録から分かります。そこでは,神の活動する力(ルーアハ,「霊」)が水の表を動いていたと述べられています。(創 1:2)とはいえ,クリスチャン・ギリシャ語聖書はこの象徴的な用法を確実に理解するかぎとなっています。マタイの記述ではイエスが『神の聖霊』によって悪霊たちを追い出したと説明されており,ルカの記述ではそれが「神の指」によって行なわれたと述べられています。―マタ 12:28; ルカ 11:20。
2月26日–3月3日
神の言葉の宝 | 詩編 11-15章
平和な世界にいる自分をイメージする
塔06 5/15 18ページ2節
詩編 第一巻の目立った点
11:3 ― 打ち壊される基とは何ですか。この基とは,人間社会の基盤となるもの,すなわち法,秩序,公正のことです。それらが乱れると,社会に無秩序が広がり,公正が守られなくなります。そのような状況のとき,「義なる者」は神に全面的に依り頼む必要があります。―詩編 11:4-7。
塔般16.4 11
暴力のない世界は実現するか
聖書の約束によると,神はまもなくこの地球から暴力を一掃されます。今日の暴力的な世界は,神による「不敬虔な人々の裁きと滅びの日」に向かっています。(ペテロ第二 3:5-7)暴力的な人が他の人を苦しめることはなくなるのです。神は暴力を根絶するために行動を起こそうとしておられます。なぜそう言えるでしょうか。
神は「暴虐を愛する者を必ず憎む」と,聖書は述べています。(詩編 11:5)神は,平和と公正を愛されます。(詩編 33:5; 37:28)ですから,暴力的な人をいつまでも容認することはありません。
国 236ページ16節
王国は地に関する神のご意志を果たす
16 安全。イザヤ 11章6-9節の心温まる光景はついに,完全に成就します。文字どおりにも成就するのです。男女を問わず,大人も子どもも,地上のどこに行くとしても安全で,安心していられます。他の人間や動物に危害を加えられるおそれは全くありません。地球全体がわたしたちの住まいとなる時を想像してみてください。川や湖や海で泳ぎ,山岳を縦走し,草原を散策することができ,身の安全を心配する必要はないのです。夜になっても不安を感じません。エゼキエル 34章25節の言葉が実現し,神の民は「安らかに荒野に住み,森林で眠る」ことさえできます。