「生活と奉仕 集会ワークブック」の資料
「生活と奉仕 集会ワークブック」の資料
© 2024 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
11月25日-12月1日
神の言葉の宝 | 詩編 109-112編
王イエスを支持する
塔06 9/1 13ページ6節
詩編 第五巻の目立った点
110:1, 2 ―「[ダビデ]の主」, イエス・キリストは, 神の右に座している間に何をしておられましたか。イエスは復活してから天に昇り, 王として支配を開始する1914年まで神の右で待っておられました。その間, イエスはご自分の油そそがれた追随者たちを治め, 宣べ伝えて弟子を作る業において彼らを導き, ご自分の王国で共に支配するための備えをさせておられました。―マタイ 24:14; 28:18-20。ルカ 22:28-30。
12月2-8日
神の言葉の宝 | 詩編 113-118編
エホバにお返しするために何ができるか
塔01 1/1 11ページ13節
愛によって築き上げられる
13 イエスの言葉からすれば, まず第一にエホバを愛するべきであることは明らかです。しかし, わたしたちは生まれつきエホバへの愛を十分に育んでいるわけではありません。愛は培うべきものです。わたしたちは, 初めてエホバについて聞いた時, その聞いた事柄によってエホバに引かれました。人類のためにどのように地球を整えてくださったかについて, 少しずつ学びました。(創世記 2:5-23)人類をどのように扱ってこられたかについても学びました。人間家族に初めて罪が入り込んだ時も, わたしたちを見捨てることなく, 請け戻すために対策を講じてくださったのです。(創世記 3:1-5, 15)神は忠実な人たちを親切に扱い, ついにはわたしたちの罪を許すためにご自分の独り子を与えてくださいました。(ヨハネ 3:16, 36)エホバに対するわたしたちの感謝の念は, そのように知識が増すにつれて深まりました。(イザヤ 25:1)ダビデ王は, エホバの愛ある気遣いのゆえにエホバを愛する, と述べました。(詩編 116:1-9)今日でも, エホバはわたしたちを気遣い, 導き, 強め, 励ましてくださいます。エホバについて学べば学ぶほど, わたしたちの愛は深まります。―詩編 31:23。ゼパニヤ 3:17。ローマ 8:28。
塔09 7/15 29ページ4-5節
感謝して受け, 心から与える
詩編作者はこう自問しました。「わたしに施してくださるそのすべての恩恵に対して, わたしは何をエホバにお返ししたらよいのでしょう」。(詩 116:12)どんな恩恵を受けたのでしょうか。「苦難と悲嘆」の時にエホバに支えられました。そのうえ, エホバは彼の『魂を死から助け出して』おられました。それで, 何らかの方法でエホバに「お返し」したいと思ったのです。この詩編作者は何ができましたか。「わたしはわたしの誓約をエホバに果たします」と述べています。(詩 116:3, 4, 8, 10-14)エホバに対して行なった厳粛な約束をすべて守り, 神に対するすべての務めを果たそうと決意したのです。
あなたもそうできます。どのようにでしょうか。常に神の律法と原則に従った歩みをすることによってです。生活の中でエホバの崇拝をいつも最重要なものとし, 何をするにも神の霊を導きとしてください。(伝 12:13。ガラ 5:16-18)もちろん, 現実にはエホバが行なってくださったすべてのことに対し, じゅうぶんにお返しすることなどできません。それでも, 神への奉仕のために心をこめて自分を与えるなら, 『エホバの心を歓ばせる』ことができます。(箴 27:11)そのようにしてエホバに喜んでいただけるというのは, まさにすばらしい特権です。
12月9-15日
神の言葉の宝 | 詩編 119編1-56節
「若い人はどうすれば清く生きられるだろう」
塔87 11/1 18ページ10節
あなたは, あらゆる点で清さを保っていますか
10 エフェソス 5章5節でパウロはこのように警告しました。「あなた方はこのことを知っており, 自分でも認めているのです。すなわち, 淫行の者, 汚れた者, 貪欲な者は ― これらはつまり偶像礼拝者ですが ― キリストの, そして神の王国に何の相続財産もありません」。ところが, 毎年幾千幾万という人々が, 『自分の体に対して罪をおかすこと』である性の不道徳が原因で戒められたり, 排斥されたりするのです。(コリント第一 6:18)大抵の場合, それは「[神の]み言葉にしたがって注意深くある」ことを怠った結果にすぎません。(詩編 119:9)例えば, 大勢の兄弟たちは, 休暇の時期に道徳的な警戒心を捨ててしまいます。神権的な交わりをなおざりにし, 休暇を過ごしている世の人々との交友を始めるのです。あるクリスチャンたちは, それら世の人々を『実に良い人たち』だと考えて, いかがわしい活動に一緒に携わりました。同様に, 仕事仲間と親密になりすぎた人々もいます。一人のクリスチャンの長老は, 一人の女性従業員と深い関係になり, 家族を捨ててその女性との生活を始めました。その結果は排斥です。「悪い交わりは有益な習慣を損なう」という聖書の言葉は何と真実なのでしょう。―コリント第一 15:33。
塔06 6/15 25ページ1節
『わたしはあなたの諭しに愛着を感じます』
エホバはご自分の民に, この多難な時代の圧力に対処できるよう諭しを与えておられます。それらの諭しは, 個人的に聖書を読んでいる時に与えられる場合もあれば, クリスチャンの集会で得られる情報や耳にする注解という形で与えられる場合もあります。そうした機会に読んだり聞いたりする事柄の多くは, わたしたちにとって新しいものではありません。おそらく以前にも, 同じような情報について考えたことがあるでしょう。しかし, わたしたちは忘れてしまうことが多いので, 絶えずエホバの目的, 律法, 教えなどに関して自分の記憶を新たにする必要があります。神からの諭しには感謝すべきです。そうした諭しのおかげで, 敬虔な生き方を受け入れた時の動機を絶えず思い起こして, 意欲を新たにすることができます。ですから詩編作者はエホバに, 「わたしはあなたの諭しに……愛着を感じます」と歌ったのです。―詩編 119:24。
12月16-22日
神の言葉の宝 | 詩編 119編57-120節
つらい状況で忍耐するために
塔00 12/1 14ページ3節
あなたはエホバの諭しをこの上なく愛していますか
3 次のように歌った詩編作者にとって, 神の諭しは大切なものでした。「わたしは急ぎました。あなたのおきてを守ることを遅らせませんでした。邪悪な者たちの綱がわたしを取り囲みました。わたしはあなたの律法を忘れませんでした」。(詩編 119:60, 61)エホバの諭しはわたしたちが迫害に耐える助けとなります。なぜなら, 天の父には, 敵がわたしたちの周りに巻き付ける拘束の綱を断ち切ることができるという確信があるからです。エホバはふさわしい時にそのような障害を取り除き, わたしたちが王国を宣べ伝える業を遂行できるようにしてくださいます。―マルコ 13:10。
塔06 9/1 14ページ3節
詩編 第五巻の目立った点
119:71 ― 苦しみに遭うことには, どんな良い面がありますか。つらい経験をするなら, エホバにいっそう十分に依り頼み, いっそう真剣に祈り, いっそう勤勉に聖書を研究して適用することを学べます。また, 苦しみに遭ったときの反応の仕方から, 自分の人格上の欠点が明らかになり, それを矯正できるということもあります。苦しみに遭っても, それによって自分を精錬するなら, 苦々しい思いをせずにすみます。
12月23-29日
神の言葉の宝 | 詩編 119編121-176節
つらい思いをしないためにできること
塔93 4/15 17ページ12節
若い皆さん ― あなたは何を追い求めていますか
12 何よりも, 悪いことを憎み, 憎悪し, 嫌悪するようにならなければなりません。(詩編 97:10)最初は楽しく愉快に思える事柄をどうやって憎むのでしょうか。結果を考えるのです。「惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ, 人は自分のまいているもの, それをまた刈り取ることになるのです。自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取……るからです」。(ガラテア 6:7, 8)情熱に身を任せたいという気持ちになった時は, さらに重大な結果, つまりそれがいかにエホバ神に苦痛を与えることになるかという点を考えるのです。(詩編 78:41と比較してください。)さらに, 望んでいないのに妊娠したり, エイズのような病気にかかったりする危険についても考えます。感情面で大きな痛手を受けたり, 自尊心を失ったりすることについても思い巡らしてください。また, 長期的な結果もあるかもしれません。あるクリスチャンの女性はこう打ち明けています。「夫も私も互いに知り合う前にセックスの経験がありました。今では二人ともクリスチャンですが, 過去の性体験が夫婦げんかやしっとの原因になっています」。さらに, 神権的な特権を失うことや, クリスチャン会衆から追放される危険も見過ごすべきではありません。(コリント第一 5:9-13)一時的な快感には, それだけの犠牲を払う価値があるのでしょうか。
2024年12月30日-2025年1月5日
神の言葉の宝 | 詩編 120-126編
泣きながら種をまき, 笑顔で収穫する
塔04 6/1 16ページ10節
神に栄光を帰する人は祝福される
10 わたしたちは, 弟子としてのくびきを負うとき, サタンと戦っていることになります。「悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば, 彼はあなたから逃げ去ります」と, ヤコブ 4章7節は約束しています。立ち向かうのは容易なことだ, と言っているのではありません。神に仕えるには, 相当の努力が必要です。(ルカ 13:24)しかし聖書は, 詩編 126編5節で, 「涙をもって種をまく者たちは, まさに歓呼の声をもって刈り取るであろう」と約束しています。そうです, わたしたちは, 人の働きを評価しない神を崇拝しているのではありません。神は「ご自分を切に求める者に報いてくださる」方であり, ご自分の栄光をたたえる人を祝福されます。―ヘブライ 11:6。
塔01 7/15 18-19ページ13-14節
ひるまず収穫の業に励みなさい
13 神の収穫の働き人, とりわけ迫害に遭っている人にとって, 詩編 126編5, 6節のこの言葉は, 大きな慰めになります。「涙をもって種をまく者たちは, まさに歓呼の声をもって刈り取るであろう。一袋の種を携え, しかも泣きながら出て行かなければならない者は, 穀物の束を携え, 必ず歓呼の声を上げながら入って来るであろう」。種をまいて刈り取ることに関する詩編作者のこの言葉は, 古代バビロンでの捕囚から帰還した残りの者に対するエホバの配慮と祝福を説明しています。それら残りの者は, 解放されて非常に幸福でしたが, 70年の流刑の間だれも耕作しなかった荒れ果てた土地に種をまく時には泣いたかもしれません。しかし, 種まきや建設の活動を続けた人たちは, 苦労の結果として実りと満足を得たのです。
14 わたしたちも, 試練を受けているとき, あるいは自分や仲間の信者が義のために苦しんでいるとき, 涙を流すかもしれません。(ペテロ第一 3:14)収穫の業では, 初めのうち, 宣教で努力しても全く成果がないように思え, つらい時期を経験するかもしれません。それでも, 種をまいて水を注いでゆくなら, 神が成長させてくださり, わたしたちの期待を超えた結果になる場合も少なくありません。(コリント第一 3:6)このことは, 聖書や聖書に基づく出版物を頒布して得られた結果によく示されています。